もともと、4月29日は昭和天皇の「天皇誕生日」として国民の祝日でした。
昭和天皇が崩御された後、この日は「みどりの日」と改称されましたが、国民有志の願いを受けて、激動の昭和時代を回顧する祝日「昭和の日」へと再改称されました。
祝日法
第一条(意義)
自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。
第二条(内容) 「国民の祝日」を次のように定める。
〔中略〕
昭和の日 四月二十九日
激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
〔後略〕
「昭和の日」制定までの経緯
平成10年 4月10日、「昭和の日」推進議員連盟創設
平成12年 3月30日、祝日法改正法案が参議院に提出
同 5月11日、参議院文教・科学委員会可決
同 5月12日、参議院本会議で可決
同 6月 2日、衆議院解散により廃案
平成14年 7月17日、衆議院に提出
同 7月16日、衆議院内閣委員会可決
同 7月17日、衆議院本会議可決
同 10月10日、衆議院解散により廃案
平成16年 3月12日、衆議院に提出
平成17年 1月13日、衆議院内閣委員会に付託
同 4月 1日、衆議院内閣委員会可決
同 4月 5日、衆議院本会議可決
同 5月12日、参議院内閣委員会可決
同 5月13日、参議院本会議可決成立
同 5月20日、公布(平成17年法律43号)
昭和の日宣言
本年本日より、昭和天皇のお誕生日だった四月二十九日は、国民の祝日 「昭和の日」 として新しく出発しました。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」祝日です。
昭和の日本は、栄光の明治と、希望と不安が交錯した大正のあとをうけ、 国民の和合と世界の平和を願って船出をしました。 しかし、厳しい国際情勢のもと、困難な戦争への道を余儀なくされ、アジアの植民地解放の理想をかかげて戦った大東亜戦争も、いたましい敗戦に終ってしまいます。まさに激動の日々でした。
戦争終結にあたり、昭和天皇は「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」 「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す」との聖断をくだされました。これによって、わが国は秩序ある終戦を迎え、再建に向けた足がかりをつかむことができたのです。
戦後、国民は力強く復興への歩みを始めます。その後の日本のめざましい発展は、戦歿者に対する追悼と国民への慈しみの御心のまま、ひたすら国の隆昌と世界の共存共栄とを願われた昭和天皇の祈りに支えられたものでした。
昭和の歴史は、後世の日本人に数多くの示唆を与えてくれます。平和の尊さ。天皇を中心に国民が心を合わせることの大切さ。経済の繁栄には心の豊かさが伴わなければならないこと。どんな逆境からでも、日本人は必ず立ち直る活力を持っていることなど。それらはどれも、国の将来を導くかけがえのない道しるべです。
私たちはここに、昭和天皇をお偲びするとともに、民族の悲境をみごとに乗り越えた「昭和」への思いを、次代に正しく受け継いで行くことを誓います。
はじめての「昭和の日」にあたり、以上宣言いたします。
平成十九年四月二十九日
昭和の日をお祝いする実行委員会
「昭和の日」記念式典参加者一同